桶狭間について 2

桶狭間の戦いには誤解があった、と以前書いた。
要は、織田信長の軍勢が今川義元の軍勢を上回っていた、
ということだった。

勘違いのフェイズはいくつかある。
今、愛知県VS静岡県の人口を考えるところから、
考察を始めなかった現代人にも問題がある。
ねえ、静岡県三河地方が涵養できる人口から考えて、
今川義元の配下に25000~45000の兵力(Wikipediaより)があるなんて無理ですよね。

さかのぼって、江戸時代の戯作者にも問題があった。
小瀬甫庵(「太閤記」「信長記」)、川角三郎右衛門(「川角太閤記」)。
武内確斎(「絵本太閤記」)に代表される面々のことだ。
彼らは、綿密な取材より、庶民受けを狙って執筆した。
その結果、少人数の兵力が多勢を打ち破るのが、
ウケが良かったのだろう。
有り得ない兵力比を書いてしまった。
ただし、彼らには同情の余地はある。
平家物語以降のいわゆる軍記物語の素地で書いているだけとも言えるからだ。
中国の「史記」に始まる正史とは異なる。
これについては、是非ともそのうち考えてみたい。

しかしながら、「信長公記」を信ずるならば、だ。
織田信長今川義元も間違えていたのだと思う。
つまり、彼らでさえも今川勢のほうが、兵数が多いと思い込んでいた、
と考えている。

その事情に関しては、次回書いてみたい。