手首痛い系…痛いけい?

1980年くらいから2000年にかけてが
女性写真集のピークだったというのが、
このブログで私が主張していることである。

が当然、傑作ばかりだったわけではない。
というか、2:8くらいで傑作のほうが少ないと思っている。

さて、1980年代の駄作については、
既に「二泊三日系」という言葉で説明してみた。
要はスタッフにとって、撮影が主なのか、
海外のバカンスが主なのかわからない作品群のことである。

1990年代の駄作に関しては、違う特徴がある。
1.重い。
紙質が向上し、上製(ハードカバー)の時代になり、
重量が1㎏を越えて、何なら3Kgを上回るものさえある。
いや、興奮してるんですよ、利き腕はあるものを握ってるんですよ。
で、余っている手でダンベルを持てっというのですか。
手首骨折しちゃいますよ
(前述の小栗香織氏の写真集をいま量ったら403gでした)。

2.でかい。
手元にある金沢文子・川人忠幸「カーマ・スートラ」(2000年)は
縦38㎝あります。
冬場コタツで、とか思っていると、テーブルからはみ出します。
いや実際、古本屋的にはどこに陳列すればよいのかわかりません。

3.写真家の名前が目立つ。
女性モデルより、写真家の名前が大きい場合がある。
篠山紀信氏とか荒木経惟氏とか加納典明氏とかだったりするが。
確かにこのブログでも写真家には触れている。
しかし、本来は被写体の女性が重要でしょ。
この時代は何事か間違っていた。

4、妙にアート。
でも、最大の問題はこれ。

「二泊三日系」はある意味間違っていない。
水着でパシャリ、脱がせてパシャリ、なのであるから、
読者に対するメッセージに狂いはない。
ある瞬間、疑似彼女として存在した写真集は、
確かに男性諸氏の心に届いたことだろう。

一方、1990年代の写真集のある種の罪は異なる。
皆様もこの時代に生きていた方なら、ご記憶があることだろう。
蛇をまいた熟女が表紙の写真集、
モノクロの画面にお尻だけ浮かび上がっている写真集
(そう言えばこの時代モノクロが多かった印象がある)、
扉だけが妙に印象的な写真集、エトセトラ。
どこに興奮すればよいのだとおもいませんでしたか?
今風に言えば「誰得」でしょうね。

いまふと思い出しったが、
この扉、セクシーでアートだったのか、
この年の豊島園に陳列されていたはず。

もちろん、誰が得したかには想像がある。
「脱がせ屋」と呼ばれたフィクサーの面々である。
借金とかスキャンダルを抱えた女優、
あるいは妙に自意識の高い女優を口説き落とし、
出版社に紹介することで数百万ゲットだぜ、だった。
だから、この手の写真集の価格は高かった。

これらの写真集は、有名女優たちのことが多いから、
書店(まだ、ネットはなかった)の売り場で、
平積みされたり、面陳列されたりした。
今宵の疑似彼女を求める男性諸氏にとって、
関係のない場所となってしまうことになりがちではあった。

他の要因ももちろんたくさん、たくさんあるのだが
また、罪などというきつい言葉を使ったが、、
写真集時代の黄昏を告げる一要因にはなったと思っている。