「セーラー服と」

最近、例えば「しくじり先生 俺みたいになるな!!」を見ればわかる通り、
セーラー服を女性タレントが着用することに
エロの要素が薄くなっている。
あれは、「(しくじり)先生」から授業を受ける生徒役だから、
着ているわけだ。
平成教育委員会」などのクイズ番組もしかり
(だから、男子は学ランだ)。
個人的には良き傾向だと思う。

ところが、このブログで書こうとしている写真集の時代、
1980年~2000年という時代では異なる。
ブルセラ」なる言葉があって、
エロスの記号が濃厚にあったのだ。

元来、セーラー服には学生の記号しかなかったように思う。
1949年の映画、「青い山脈」における杉葉子氏しかり、
1963年の紅白歌合戦で「林檎の花咲く町」を歌った高石かつ枝氏しかり。

ここからは1964年生まれの私の記憶で語りたい。
田舎(郡部)で育った私は不透明な青雲の志をもって、
ちょっとだけ都会の高校に進学した。
そこで初めてビニ本の自販機に出会う。
驚いた。
30歳を越えているとみられる妙齢の女性が、
上半身にセーラー服をまとい、スカートのない下半身では大股を広げて、
スケスケのパンティを見せつけながら、にこやかに微笑んでいるのだ。
混乱した。
なぜにセーラー服?
「コスプレ」という言葉のない時代だもの。
OVER30の女性がセーラー服を着る理由などわかるわけなどない。
あまりに怖すぎたので、自販機でこの手の雑誌を買ったことはない。

Wikipediaによれば、ビニ本は1975年くらいの発生らしい。
そこで私より5歳から10歳から上の男性諸氏に伺いたい。
あれって、興奮したんですか?

ビニ本界がなぜ女性にセーラー服を着せたのか、
は今となっては何となくわかる。
女性写真のメジャーフィールドたる、平凡パンチ週刊プレイボーイが大金を遣い、
海外で水着で写真を撮っている最中、
零細の業界の差別化戦略のための、セーラー服だったのだろう。
いや実際初期と思しきビニ本(奥付がないのでいつ発行かはほぼわからない)などは、
アパートの一室で撮ったとしか思えない仕上がりではある。

でも多分儲かったのだろう。
だんだん路線が変わってくる。
やはり、セーラー服を着るなら若いほうが似合う。
結果、1980年を越える頃から、モデルが若くなってくる。
もしこのブログが続くようなら、この辺りはもう少し考察したいとは思っている。

影響は例えば、にっかつロマンポルノにも与えている。
美保純氏の「制服処女のいたみ」は1981年だし、
可愛かずみ氏の「セーラー服色情飼育」は1982年だ。

更にさらに、薬師丸ひろ子氏が「かいかん」とつぶやいた
セーラー服と機関銃」は1981年でもある。
そう1980年代は徐々に、セーラー服がエロスの意匠を纏い始めていたとは言える。
ちなみにおニャン子クラブの「セーラー服を脱がさないで」は1985年だ。
このころから、秋元康氏は時流を読むことが上手い。

ちなみに、「ブルセラ」の対のブルマはこのラインにはいない、
ということはちょっとだけ補足しておきたい。

岡山で古本屋してます。
写真集の話をしに来ませんか。
では。