桶狭間の戦い

桶狭間の戦い

桶狭間の戦いの真実は
意外に簡単だなと思っている。

ウィキペディアの日本語版には、
「近代以前の日本の人口統計」という項目がある。
1560年の人口は記されていないが、
40年後の1600年の推定人口ならある。
それによれば、
尾張国の人口は、312000人
遠江国駿河国の合計人口は259000人である。

桶狭間の戦い三河勢が大高城に入ったのち、
その勢力をスルーする形で、
織田軍と今川軍が直接戦ったわけで、
なら、人口比が軍勢比になろう。
要は、織田信長の兵が今川義元の兵の数を
上回っていたから勝ったのだ。

思えばおかしかった。
今川勢は、松井宗信、久野元宗、井伊直盛、由比正信、一宮宗是、蒲原氏徳
といった有力武将を失っており、
これは、ぼろ負けというしかない。
また、奇襲と言えば夜戦とか、島津お得意の釣り野伏せ戦法とかあるが、
桶狭間の戦いのイメージは白兵戦であり、奇襲といえる類ではない。

何が勘違いを起こさせたかは、次回まとめてから。